リビジョン 2: 田園調布サティアン
田園調布サティアン(でんえんちょうふさてぃあん)とは、唐澤貴洋の実家(東京都大田区田園調布本町36-13)である。現在は唐澤洋と唐澤厚子が住んでいる。
発覚の経緯
2012年9月26日、「住所でポン!」にて田園調布の一軒家に唐澤貴洋の父親と同名の唐澤洋という人物が住んでいることが明らかになりなんJに晒されたところ、数日後にその書き込みが削除された。この事からこの一軒家が唐澤貴洋の実家であることが確定した。
当時は、ここが唐澤貴洋の「現住所」である可能性も検討され、田園調布から事務所までの通勤経路が考察されるなどしていた。
しかし、2013年11月23日、唐澤貴洋自身がFacebookで港区在住であると発言したり、田園調布サティアンの登記簿開示(後述)に関して「私の……アンノォ……実家の方の登記簿!(間)が撮られて(間)それをインターネット上に公開されたりですね…」とコメントしたこともあり、現在ではあくまで唐澤貴洋の実家として認識されている。
けんまの結果、公道上にはみ出すほど草が生えていることが判明したため、空き家説も提唱されていたが、2016年に唐澤洋らしき人物が確認された。
恒居が発見されていない現時点では、尊師関係者が居住する唯一の場所であるため、けんまや出会い厨派遣が行われており、逆転人生では唐澤洋より、定期的に国営セコムの巡回を受けていることが開示されている。
周辺
すぐ近くには河野家の墓所がある東光院がある。サティアンがある田園調布本町は田園調布と名がつくものの、高級住宅街である田園調布2・3丁目(田園調布駅周辺)とはかなり離れた場所にある一般的な住宅街であり、最寄駅も東急多摩川線の沼部駅となる。また、サティアン前の通りをまっすぐ進んだ場所に福山雅治の曲で知られる桜坂があり、唐澤貴洋が福山雅治を好きなミュージシャンに挙げた所以と思われる。
田園調布第二サティアン
田園調布サティアンのすぐ裏手、同サティアンが面する通りを入ったところにある住居(上記地図参照)。「河野一英」とある表札が掲げられている事から、生前河野一英が住んでいたと言われている。
田園調布第三サティアン
1970年時点の河野喜代の住居。けんま
2013年3月22日にカラケー民が田園調布サティアンにけんましたところ、1年前まで存在しなかった「河野沙季」という名前が記載された表札が発見され、さらにサティアンの裏手にある家が「河野」と言う名字であることが判明し親戚説が浮上した結果、河野一英(母方祖父)、河野一郎(伯父)などの唐澤貴洋の親戚が大量に開示された。また、その数日後に登記簿の取得が行われ、この土地は唐澤厚子が河野一英から譲り受けたものであることが判明した。
また、けんました教徒により唐澤洋の所有と思われる成人男性の靴が戸外に放置されていることも明らかとなった。
この靴は唐澤洋の目撃時に本人が履いていた靴と酷似しており、更に別の教徒より2年前から靴があることが開示され、唐澤洋は自分の靴を常に戸外に放置していることが明らかとなった。
事故物件
長らくその詳細が不明となっていた唐澤厚史の最期であるが、1995年8月24日深夜~25日未明にかけて自室に鍵をかけた上での首吊り自殺であったことが2018年出版の『炎上弁護士』で明らかとなった。この後、2020年6月6日付の朝日新聞掲載記事の取材記事により、出窓にベルトをかけて首を吊っていた、とその詳細が判明している。
出窓については2階の正面とその裏手、さらに1階の正面向かって右側にあることが確認できる。
このため、もし仮に田園調布サティアンが不動産売買や賃借の対象となる場合、宅地建物取引法上の重要事項説明の対象、すなわち事故物件として取り扱われる可能性があり、
既に事故物件を登録するサイトには、田園調布サティアンが登録されている。
アクセス
東急多摩川線沼部駅より徒歩1分ほど。また、東急東横線・東急多摩川線多摩川駅からも徒歩13分ほどでアクセス可能。安全なけんま方法
2026年3月1日、けんま民によって田園調布サティアン周辺の監視カメラの設置状況が描かれた地図が作成された。今後けんまする際はこの地図を上手く活用することが推奨される。