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Versie 1: 麻原彰晃

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Versie 1 — 2026-08-25 23:08 door コケマツ
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麻原彰晃(あさはらしょうこう、Asahara Shoko)、本名:松本智津夫(まつもとちづお、Matsumoto Chizuo)、1955年3月2日午前3時34分~2018年7月6日)とはオウム真理教の指導者である。

オウム真理教の信徒からは「尊師」、恒心教徒からは「旧尊師」と呼ばれている。ホーリーネームは「マハー・グル・アサハラ」[1]であり、オウム真理教における役職は「神聖法皇」における国家元首(大日本帝国憲法における天皇の様な立ち位置)。

2018年7月6日、死刑が執行された。

経歴

1980年頃、1990年頃のどちらと比べても麻原にしてはイケメンなので、再現ドラマの役者説もある。
1955年3月2日午前3時34分、熊本県八代郡金剛村(現在の八代市高植本町)の畳職人の4男として生まれる。

1961年に八代市立金剛小学校に入学後、熊本県立盲学校に転校。先天的緑内障のため[2]。また、その際には恐喝も行い、貯金額は卒業時点で300万円に達していたという。

1975年に高等部を卒業、一時上京し、江東区大島品川区戸越に居住するも9月には実家に戻る。1977年、再上京し東京大学文科1類を目指して代々木ゼミナールに通うも挫折。1978年、千葉県出身の石井知子(後のヤソーダラー正大師)と結婚し薬局を経営。

1980年に新興宗教団体阿含宗に入信。後のオウム真理教のシステムの根本を考案。1981年、薬事法違反で逮捕。1984年、ヨガ道場「オウムの会」を組織、自らを「麻原彰晃」と名乗り始める。後に「オウム神仙の会」と改称し、最終的に「オウム真理教」となり、1989年、オウム真理教が宗教法人として認可される。1990年、真理党を結党し第39回衆議院議員選挙に東京4区から出馬するも1783票しか集まらず13位で落選。本人曰く「はっきりいって惨敗」「票の操作がなされている」。

そして、多数の殺人事件を首謀した末、1995年5月16日に山梨県西八代郡上九一色村(現在の南都留郡富士河口湖町)第六サティアンにて逮捕。ちなみに、麻原に手錠をかけた警察官の名前は「牛島」であった。

1996年4月24日に13の事件に関する初公判。傍聴希望者は日本の刑事裁判史上最も多い12,292人であった。2006年9月15日、最高裁判所が特別抗告を棄却し無事死刑が確定。

逮捕後は奇行を連発するガイジに成り果てており信者の離反などのショックによりガチで心神喪失していたとも、死刑逃れが目的の詐病であったとも言われている。現在は「詐病」とする見解が強いが、真相自体は完全に不明、死刑確定後は話ができる状態でなかったとされる。

概要


言わずと知れたオウム真理教教祖。自らを「最終解脱者」と称し、空中浮遊やテレパシー、霊能力の行使などが出来るとしてマスコミに大々的な宣伝を行った。また、従来の宗教とはまったく異なる新しい修行形態が注目され、当時の「新・新宗教」と呼ばれる。その中で、1970年代頃より前から活動している天理教や佼成会、創価学会などが「"旧"・新宗教」、それ以降に台頭した統一教会幸福の科学、そしてオウム真理教などが「新・新宗教」と言われているブームの代表格に位置付けられTVや雑誌にも多数出演し、「宗教おじさん」としてイロモノ的扱いを受けていた。

さらに1990年~1992年には、坂本弁護士殺害疑惑や国土法違反事件による炎上を受けて愛され路線を実施、メディアに出演しまくりイロモノアピールすることである程度鎮火に成功した。この点は現尊師よりもやや有能である。またダライ・ラマなどのチベット仏教界の要人との対談も果たしチベット仏教の要人と対談をすること自体はさほど敷居が高いというわけではなく、支援者を通して面会を要求・資金提供等をすれば基本的には面会を断らない。その為当のダライ・ラマ自身も麻原の修行者としての実力について、「麻原と対談した具体的な内容は憶えておらず、宗教家としてのお墨付きを与えたつもりはない」と否定したことを一連の事件以前にチベットの要人と対談したオウム真理教家族の会代表・永岡弘行によって明かされている。とはいえダライ・ラマの超越神力では麻原の本質は見抜けなかったということでもある。世の有識者にはある程度実力を認められていた。また、現尊師と違い童貞ではなく、妻子持ちどころかハーレム持ちであり、大金のぼったくりを次々と成功させ、のように逃げ出すことがない自分に忠実な弁護士を持っていた点もある意味有能である。

一方で、教団内では「修行」と称して幹部や信者にヤバゲなことをさせ、「最終解脱者だからセーフ」という理論を濫用して自分だけ贅沢三昧の生活を送り、10代の女性信者に対するGP行為を働くなど自己中心的で横暴な振る舞いが見られ、挙句の果てには自分に反抗する勢力を暗殺させるまでに至っている。そして95年の地下鉄サリン事件によって逮捕、マスコミにより教団の実態や数々の余罪について報道がなされると、世間からはキチガイテロリストとして認識される。さらに、電磁波攻撃を受けている、毒ガス攻撃を受けているなどと統合失調症のような発言も多く、最終的に「空中浮揚」の代名詞を持ちながら絞首刑を回避出来ずポアされる等、無能な面も多く見られた。

サティアン」、「ダーキニー」、「尊師」、「ポア」、「ヴァジラヤーナなどの単語を(意味を捻じ曲げて)世に広めた人物。また、髪と髭を伸び放題にした顔はもれなく麻原扱いを受けるといった甚大な風評被害をもたらした。

渾名一覧

  • 尊師、グル、マハー・グル・アサハラ、真理の御魂 最聖、最終解脱者、神聖法皇(自称した名称や肩書き)
  • 救済者の要石、救済者の救済者、救済者の道しるべ(「魔を祓う尊師の歌」より)
  • 渋谷の彰晃、中野の彰晃、杉並の彰晃、日本の尊師、地球の尊師、世界の尊師、若きエース、十方諸仏の変化身、マイトレーヤの変化身(「尊師マーチ」より)
  • 拘置所脱糞ニキ(↔法廷脱糞ニキ)、小菅のうんこ製造機、刑務所で糞遊びおじさん、クソ漏らしガイジ、空中糞尿野郎(拘置所内で脱糞三昧だったことから生まれた渾名)
  • 糞蟲[3]、サリンデブ、{{wpl|サマナ (オウム真理教)#戒律|十戒}}を全て破った男。最終解脱者だからセーフ、刑務所の壁を越えられなかった男、肝心な時に空中浮遊できなかった、史上初めて死刑になった声優・アニソン歌手、不謹慎厨に死を笑われた男、Wikipedia性癖を晒された

ポア

人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。

2018年7月6日、63歳没。

第四次再審請求中の執行。

最期の言葉は「ぐふっ」

空中浮揚が代名詞のはずなのに絞首刑によりポアされ、天界或いは地獄へと旅立った。その遺体は火葬され、遺骨は2020年3月現在東京拘置所にある。

遺骨の引き取り手は、麻原が四女を指定したとされる他、妻と子共4人が引き渡しを求めていた。また、裁判所の判断から次女に引き渡される可能性が高いと見られていた。そして、2021年7月5日、最高裁が四女、妻、次男の特別抗告を棄却し次女に引き渡されることが決まった。墓所がオウム残党及び一部の恒心教徒の聖地となる恐れがあるため、遺骨の扱いには慎重を期すと思われ、四女側は太平洋への散骨を提案している。2022年10月2日、次女は遺骨の引き渡しを求め国に提訴した。2024年3月13日、東京地裁は次女側の請求を認め、次女に引き渡すよう国に命じたものの、国は地裁判決を不服として控訴している。

同日にポアされたオウム事件の死刑囚

同日には教団内の大臣や長官クラスの幹部であった者達も執行されている。※は再審請求中の執行を表す。
  • ボーディサットヴァ・クシティガルバ正悟師【土谷正実・東京拘置所】 53歳没
  • ジーヴァカ正悟師長【遠藤誠一・東京拘置所】 58歳没※
  • アーナンダ正悟師【井上嘉浩・大阪拘置所】 48歳没※
  • ミラレパ正大師【新実智光・大阪拘置所】 54歳没※
  • ヴァジラティッサ正悟師【中川智正・広島拘置所】 55歳没※
  • ティローパ正悟師【早川紀代秀・福岡拘置所】 68歳没※

この内、ミラレパ正大師とジーヴァカ正悟師長は、最期までオウム真理教と麻原尊師への帰依を貫いたまま死刑が執行され、文字通り殉教した。ジーヴァカ正悟師長の遺体はアレフで葬儀され、正悟師の服を着せられており、殉教者として扱われた。

2018年7月26日にポアされたオウム事件の死刑囚

  • ヴァジラチッタ・イシディンナ正悟師【小池泰男(旧姓:林)・宮城刑務所】 60歳没※
  • サンジャヤ正悟師【広瀬健一・東京拘置所】 54歳没※
  • ヴァジラパーニ正悟師【豊田亨・東京拘置所】 50歳没※
  • ガフヴァ・ラティーリヤ師長【端本悟・東京拘置所】 51歳没
  • ヴァジラ・ヴァッリィヤ正悟師【横山真人・名古屋拘置所】 54歳没※
  • マハー・アングリマーラ大師【宮前一明(旧姓:佐伯、岡﨑)・名古屋拘置所】 57歳没

これにて全オウム死刑囚のポアが終了した。

その後なぜか災害が多発しており(特に熊本周辺)、智津夫っちの呪いと半ば冗談で言われている。

由来


麻原は教団内では「尊師」(仏教用語の「グル」に相当。「指導者」の意を持つ)と呼ばれており、またテレビの報道で流された「尊師マーチ」、「真理教、魔を祓う尊師の歌」(いずれも選挙の宣伝で用いられたため有名)ではこの言葉が連呼されたこともあり、人々に強く印象付けられた。

麻原とオウム真理教のアニメや特撮から出てきたかのような強烈なインパクトは大きな衝撃を与え、パソコン通信やネット初期の悪いもの達にとって不謹慎ネタの格好の材料とされていた。恒心教徒のメイン世代である、オウム事件をリアルタイムで詳しく知らない世代にとっても、麻原やオウムは伝説的な存在と化していた。事件の風化とともに麻原やオウムに関する情報は被害者視点のものや陰謀論系、伝聞などしか残らなくなっており、彼らが一体何者なのか分からなくなっていたことも伝説化に拍車をかけた。

時は進んで2012年、弁護士唐澤 貴洋によりなんJ民への宣戦布告が始まったちょうど同時期にNHKスペシャル「未解決事件」にてオウム真理教事件が特集され、再現ドラマのクオリティの高さなどからなんJ民の間で評判となる。そして放送後のしばらくの間なんJではオウムブームともいえるネタの応酬が続き、ちょうど新鮮な話題であった唐澤は強制的に「尊師」の扱いを受けることとなってしまった。

唐澤に対する「尊師」の渾名が定着するにつれ本来の尊師であるはずの麻原は必然的に「旧尊師」に降格。ネット上で麻原の話題が登場する際にはなんJカラケーなどの恒心コミュニティ内で称号に「旧」が付いてしまう結果となった。さらにオウム真理教犯罪被害者支援機構理事長の宇都宮健児弁護士は唐澤尊師の師匠であることから「大尊師」の称号が贈られてしまった。

なお、かつて唐澤を「旧」と比較して「新尊師」と呼ぶ例があったが、唐澤新弁護士と混同する恐れがあるため、現在は「尊師」の呼称が用いられている。

2015年には麻原彰晃掲示板で麻原ネタが広まるとともに、恒心教徒から「智津夫っち」という馴れ馴れしい愛称で呼ばれるようになった。